「親と分かり合えない」「親のトラウマ」をテーマに、
情報発信しているわたくし逸ですが、
実は、
「毒親」という言葉は、あまり好きではありません。
なぜなら、
自分の親・・・つまり自分のルーツをけなすたびに、
「わたし自身の価値も下がっていく」ような気がするからです。

こんにちは、作曲家の逸@itsu_guitaristです。
トラウマ克服のため、
「怒るべきことは怒る」のも必要ですが、
「毒親」と言ってしまうと、
ソウルジェムが濁る・・・
わたしたちにも悪影響だと感じるので、
今回は同じように、
親子関係に悩んでいるけど、
「毒親」って言葉はなんかモヤモヤする
という方へ向けて、
心がスッキリ晴れるようなアイデアをお伝えします。

ぜひ参考にしてね!
「毒親」という言葉のデメリット

毒親って言いたくない!とはいうものの、
「たった2文字」で育った環境を言い表せて、
親子の悲しみを「スカッとする話」に昇華させた
という功績はあると思います。

確かに便利だよね。
ただわたしは、それ以上に、
毒親という言葉は、
- 「絶望」の空気が漂っている
- 「自分にも」弾が跳ね返ってくる
という「2つのデメリット」を感じるので、
あまりこの言葉をつかいたくないんです。
①「絶望」の空気が漂っている

先ほどの、
「たった2文字」「スカッとする」という功績は、
スポコン精神で頑張れる人であれば、
毒親と言うことで、
「この苦しみをバネに頑張る!」
と自分を励ますことができるかもしれません。

やる気になれるなら、
有効な言葉だと思う。
が。
・・・が!!!
ネットを見ていると、
どうも、そういう「前向きな意味」でつかわれていなくて、
毒親育ちのわたしに言わせれば、そういう人間全員クソ。
とか、
親ガチャ失敗した俺は、そういうの全部信じられないわ。
とか、ただただ絶望で終わっていて、
将来性というか・・・
「今後の希望が見えない」つかい方をされる場合が多い。
とも感じます。


とちゅうで道が途切れてる感じ。
この、
希望があるかないかというのが最大のポイントで、
毒親という言葉は、
「絶望・拒絶・あきらめ」というニュアンスでつかわれていて、
今後、わたしたちの「やる気や努力」を邪魔してしまうのではないか。
と感じます。
②「自分にも」弾が跳ね返ってくる

確かに、トラウマ克服のためには、
「怒るべきところは怒る」というというステップは必要です。
ですが、
他人を相手にするのとは違い、
「親」を下手にこきおろすと、
「そんな人間と血がつながっている」
という弾が跳ね返ってきて、
知らない間に、
「わたしたち自身もダメージを受ける」のではないでしょうか。

気づいたら血だらけ・・・。
「自分にも跳ね返ってくる」
これが・・・これこそが!
わたしは何よりも許せなくて、
「毒親」と言わないのは、
優しさでも・愛でも・丁寧な言葉遣いでもなくて、
苦しんだのはわたしたちなんだから、
親を批判するときに、
「わたしたちにも害がある」のはおかしい!
と思っているんです。
「わたしたちにも害がある」のはおかしい

わたしは今でこそ、
親子関係について前向きな発信ができていますが、
進路でモメていた中高生の頃は、
親・家族の何もかもが嫌いで、
夜。
家族が廊下を歩いたり、
ドアを閉めるのが聞こえるだけで、
音が、振動が、今いる「空気そのもの」が気持ち悪くて、
眠れない、眠れない!
と泣きながら足を踏み鳴らしたこともあったし、
間違いなく苦しい時間は存在したんですが・・・
だからこそ、
「もう1秒たりとも苦しみに使いたくない」と思っています。

エピソード話すと、
毎回ホラーになるよね。ごめんね💦
そのため、
「毒親育ち」って何?
え、なんでちょっと身分低くなってるの?
と、大きな不満があります。

苦しみに耐えて、身分が低いなんてアリエナイ。
このように、
毒親という言葉には、
「絶望」がやる気・努力の邪魔をして、
親への批判が「自分にも」跳ね返ってきて、自己肯定感が下がる
というデメリットがあるので、
わたしはあまりつかいたくない。と思っています。
では、何と言うのか
親の「短所だ」

わたしは、
「この毒親めがあああ!←」と言いたくなった時には、
これは、親の「短所だ」
と言いかえています。
わたしは親・祖父母の、
「親は絶対正しい。大学へ行って安定した仕事につくのが一番」
という姿勢に苦しんできたので、
親は、新しいものを受け入れるのが「苦手だ」
親は、自分で調べる力がないところが「短所だ」
と言うようにしています。

「苦手、欠点、足りない、不十分だ」
とも言うよ。
確かに、
いや、その短所のせいでずっと苦しかったんだけど?!とも思うし、
短所だから良いとは全く思いませんが、
これの最大のメリットは、
自分と親を「分けて」考えられる
ということなんです。
自分と親を「分けて」考えられる

自分と親を「分けて」考えることは、
これは「親の課題」で、自分の価値を下げるものではない
という安心感につながります。

悩みを切り分けて考えられるよ。
これは別に、強がりで言っているのではなくて笑!
心理学の分野にも、課題の分離というトレーニングがあります。
これは、
「本当に悩む必要のある問題か」と、悩みを根本から見直すものです。

「幸せのための心理学」とも呼ばれる
アドラー心理学の考え方だよ。
実はこのブログは、
「親の言葉 トラウマ」「親と分かり合えない」
と検索してたどり着いてくださる方が多く、
言われた言葉や態度が忘れられない、許せない。
というお悩みも頂きます。
ですが、
「本当に悩む必要があるか」と考えると、
親の否定的・支配的な言葉や行動は、
そもそも「親の課題」で、
わたしたちが変えるor引け目に感じる必要はないもの
なのではないでしょうか。
もちろん、
皆さんの苦しみはさまざまだと思います。
ですが少なくとも、
「わたしたちの人生」をかけて悩むものではないはずです。

夢を叶えたい!とか、
恋人と楽しく過ごしたいとか、
もっと重要なことあるよね。
そのためわたしは、
親に憤りを感じたら、
あ、来ました短所。
違う意見を認められない性格なんだよね。
説明が苦手で、すぐヒステリック起こすよね。
これ短所だね。
と言う方が、
親の問題と自分を「分けて」考えられるし、
スパッと「頭を切り替えられる」ので、
毒親ではなく、「親の短所」と言うようにしています。

適切な距離感とっていこう。
まとめ
今日は、親子関係に悩んでいたわたしが、
「毒親」と言いたくない理由をお話ししました。
ポイントは、
- 「毒親」は2つのデメリットがある
→「絶望」が、やる気・努力の邪魔をする
→「自分に」跳ね返って、自己肯定感が下がる
- 「親の短所」と言いかえる
→自分と親の問題を切り離して考えられる

こんな感じ。
また、短所と言うと、
「誰にでもあるもの」と捉えることができます。
ただこれは、
短所だから大目に見てあげてよー。
という「ふんわり理論」ではなく、
毒ではなく、短所なんだから、
親の短所で、
わたしたちが不幸になったりしない。
短所ごときで、
わたしたちたちの人生は決まらない。
と考えることができ、
立ち上がる力が湧いてきます。
このように、
自分と親を「分けて」考えられて、
こちらに「ダメージがなく」、むしろ「やる気になれる」ので、
わたしは
「毒親」ではなく、「親の短所」と言う方が好きです。

自分に合いそうだな、
と思った方は実践してみてね。
▼今回ご紹介した「課題の分離」は、
いろんな書籍で取り上げられていますが、こちらがいちばん心に残っています。

実際の症例やカウンセリング方法も載っていて、
気持ちを代弁してくれるようで、ウルウルしてしまいました。

「自分らしく生きるため」のテクニック満載!
ときどき、わたしの最大の不幸は、
「親は100%正しい」と考えていたことじゃないかと感じます。
進路をどうするか。
ここで初めて親と決裂して、
「え、親ってなんでも知ってて、間違うことないんだよね」
「一方的な物言いだけど、わたしが間違ってるんだろうか」
と自分も・親も信じられなくなった気がします。

自分も親も。って悲しいよね。
社会人になり、
(・・・いや、もういい大人か笑!)
「完璧な人間なんていない。また完璧になる必要もない」と分かり、
親は、いろいろなことができる。
でも同じ人間。できないこともあるよ。
って子供の時に教えて欲しかったな。
尊敬って、
「間違わない」ことじゃない。互いに「理解し合える」ことだよね。
今では、こう思っています。

これから変えていけばいいよね。

最後まで読んでくれてありがとう!
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