小・中学生のころ。
98点のテストを持って帰ると、
「どこ間違えたんや。」
という母のセリフから始まるのが、
お決まりのパターンでした。
こんにちは、作曲家の逸@itsu_guitaristです。
この「100点以外は認めない」という考え方。
なかなか厳しいなと思うのと同時に、
同じようなことを言われる&言われた方も、
少なくないのではないでしょうか。
わたし自身、子供のころは、
「なんかモヤモヤするけど、そういうものかあ」と思っていました。
「あと2点で100点。おしいっ!」
と思うのはわかる気がするしな。
ですが企業で働き、
上司とのつきあい方・仕事のすすめ方など、
ドン臭いわたしもいっちょ前に悩みをかかえ始め、
ビジネス、心理学、子育ての本。
あげくの果てに、
一生読むもんかと思っていた自己啓発書など、
いろいろ読みあさるうちに、
「100点じゃないと認めてもらえない」
って、デメリットが多いんじゃないの。
という考えに行きつきました。
自己啓発書は、
わたしのことはわたしが知ってる!思ってたんだよね。
とがったナイフだね笑
今回の記事は、
「100点以外は認めない」という考え方をテーマに、
- わたしたちにどんなデメリットがあるか。
- 今後結果をどう受け止めるべきか。
この2点について、
エピソードを交えながら、わたしのアイデアをお伝えします。
この記事で、読者の皆さんの心のモヤモヤが解決できればたいへん嬉しいです。
ぜひ参考にしてください!
「100点以外認めない」のデメリット
こう考えるようになったのは、27歳ごろ。
会社で働いて5年目になり、
仕事は大体できるけど、じぶんの人生このままでいいのかなあ・・・。
とボンヤリ不安になっていた時期です。
帰りのバスにゆられながら、
スマホでネットを見ていると、
「完璧主義者」は、じつは完璧な人ではない。
こんな文章が目に飛びこんできました。
完璧になれる人じゃないの?と思うかもしれないが、じつは「失敗をこわがる人」
失敗を恐れるあまり、
挑戦すること自体やめてしまう。
わたしこれを見て、
びっっっくりしましたね!
完璧主義のわるい面なんて、
考えたことなかったよ。
でも、
完璧でいるためには、失敗しなきゃいい。
失敗しないためには、そもそも何にも挑戦しなきゃいい。
というのは、たしかにその通りで、
ははあ納得だ。と感心してしまいました。
衝撃だったけど、納得。
そして次の瞬間、
「どこ間違えたんや」
という、あの日の母の言葉がよみがえってきたんです。
子どものころは、
細かいこと言うなあ。
お母さんはこの点数とれないでしょ、プンプン!
と思っているだけでしたが、
完璧主義のデメリットを知り、
「100点以外認めない」というのは、
あまりよくない考え方なのではないか。
こう感じるようになりました。
知らず知らずのうちに、完璧主義が染みついていた。
テストで100点目指すのは学生のうちだけでしょ。
人生にあまり影響しなくない?
と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、
完璧主義者=失敗をこわがる人
と聞いて、
わたしは社会人1年目に体験した出来事を思い出しました。
新入社員として働き、3ヶ月ほど経ったころ、
「業務成績報告会」に初めて参加しました。
これは年に2回、全社員100名ほどがひとつの会場に集結し、
各課の代表者が、
売り上げ・お客がどれだけ増えたかor減ったか・クレームの数などを、
パワーポイントを使って報告する、
いわば「ザ・発表会 会社バージョン」のようなものです。
まだ入社して3ヶ月しか経っていないわたしたちは、
この日は「先輩方の話を聞く」というのが唯一の仕事でした。
社会人のパワーポイントは、きっとすさまじく神がかっているのだろう!
というわたしの期待とはうらはらに、
今期の売上は〜、利用者数は〜と、
たんたんと進んでいく発表に、まぶたが閉じかけてきたころ、
「目標達成率は80%でした」
スクリーンに映し出されたこの文字に、
えっ?と首をかしげました。
達成率???
80%って、ようは達成していないってことでしょ。
なぜ「未達成」ではなく、
「達成率80%」って言うの?
社会人1年目のわたしは、非常に戸惑いました。
なんかズルくない?
きっとおエラいさんの誰かが、
甘ーい、80%じゃいかん!と一発怒鳴るだろうと思い、
とっさに身を固くしたんですが、
何ごともなく発表は進み、
どの課も、達成率80%でした〜。85%でした〜。
などと言って報告会はおわりました。
なんだか気が抜けてしまい、
「まあ、まだ今年度始まったばかりだし、重役も大目にみたのかも。」
と勝手に考えていたのですが、
その後も、
この「達成率」という基準は、いたるところで使われました。
未達成ではなく、達成率〇%
入社してからほんの数ヶ月で、
数多くの「達成率」に出会いました。
プロジェクトが終わったときの報告書も、
達成率で書く。
企画書も、
成功率〇%の新キャンペーンです。といって提出する。
(もちろん100%なんてのは、ほぼありません)
そんな書類通らないでしょ・・・。
と当時のわたしは思っていましたが、
通るんですよね。これが。
100%じゃなくとも、
それが会社のためになると判断されれば通るよ。
そして極めつけが「人事評価表」です。
うちの会社ではボーナスをもらう時期に、
業務をこれだけ頑張りました!
こんな成果出しました!
と自分でアピールする評価表を書いていました。
(学生の皆さんにわかりやすく言うと、
通知表をもらう前に、これだけ頑張ってます!と先生にアピールする用紙。と考えてください。)
そうです。
この評価表も「達成率」で書くんです!!
1年目のわたしは、
目標の3分の1程度しかノルマを達成できず、
「達成率33%」にするしかありませんでした。
33%て。
テストなら33点ってことじゃん。赤点じゃん!
こりゃ、ボーナス無しかもしれん・・・
とブルブル震えながら記入し、
上司の顔色をうかがいながら提出しました。
怒られませんように・・・。
ですが結局、なーんの問題もなかったんですよね。
ボーナス0円になることもなく、
「逸クンちょっと。
100%じゃないけど、どうなってるのかね」
と尋問が始まることもなく、
ただただ平穏な日常が流れていきました。
まず達成率→次に改善策
この体験を思い出したとき、
「わたしって、完璧主義なのかも・・・」
そう不安になりました。
1つ計画通りにいかないと、
急にどうでも良くなってしまうし、
会社だけじゃなく、
ブログも作曲もアップロードが遅いし、
みかんのスジも、
1つ取るとツルツルにしないと気が済まなくなって、
食べ終わるのに30分くらいかかっちゃうし(←これは違うか笑)
つまり、
100点という完璧にこだわりすぎると、成果を出すのが遅くなる。
そう考えると、
これから生きていく上では、
「達成率」の方が重要な考え方なのではないか。
こう感じるようになりました。
こっちの方が成長・成果出しやすいんじゃ…?
実際仕事をするなかで、
100点、100%という言葉はほとんど耳にしません。
組織で働いたことのある方ならおわかり頂けると思いますが、
成功率100%じゃなくても企画は通るし、
業績もある程度高い結果なら、
「なんで100%じゃないんだ!」
と鬼上司に詰められることはないはず。笑
※もちろん健全な環境の職場に限ります。
広告でも、
「95%が使ってよかった!と回答」
って堂々としてるの見るよね。
そして今回、
ここが一番重要なポイントなのですが、
「達成率」が素晴らしいのは、
まず最初に、
できたことを認めて、
その後、
できていないことへの対策を考えられる
という点です。
達成率という言葉は、
社内で頻繁につかわれましたが、
もちろん、きちんと「改善策」も考えます。
ですが必ず、
「達成率→改善策」という順番。
この順番が大事!
達成率しか考えない、改善策しか考えない。
というのはありません!
まず、できたことを達成率であらわして→
その後、できなかったことを振り返って改善する。
売り上げが良かろうが・悪かろうが、
新人だろうが・役職者だろうが、
みーんなこの順番とやり方を守ります。
それだけ重要なメソッドなんだろうな。
こう気づいたとき、
あの日。
母に「どこ間違えた?」と言われたときの、
モヤモヤの理由がわかりました。
モヤモヤの理由
「どこ間違えた?」という言葉は、
達成率をすっ飛ばし、改善策にしか触れていない。
できてない2点だけを取り上げて、
できた98点には全く触れられませんでした。
だからあの時、
「え、言うことってそれだけ?」と不満を感じたのだと思います。
モヤモヤの正体はこれか!
たしかに、改善って大事だから、
間違えたところに目が行きがちかもしれませんが、
完璧に固執すると、
失敗をこわがり、結果を出すのが遅くなる。
というデメリットもあります。
学校や学年に左右されるので、
一概にどこからどこまでが頑張った点数かは言えませんが、
あの時のわたしは、
“98点だね。
この単元は理解できた?真剣に取り組めた?”
“間違えた問題は、どうして間違えたか分かった?
次は正解できそう?”
と、
正解した問題と間違えた問題、
「どちらにも」触れてほしかったんだと感じます。
達成→改善の順番だね。
・・・まあ!過去をとやかく言っても始まらないので笑
今後わたし自身が、
一緒に仕事をする方や友達、妹たちに対して、
間違い・失敗だけを指摘するのではなく、
ありがとう・助かったよ・嬉しいよという、
「感謝」を日頃から伝えていこう。と考えています。
勉強を学ぶ場はある、子育てを学ぶ場はない。
わたしは学生時代〜社会人までずっと、
親の言葉や考え方にモヤモヤを抱えてきて、
ブログでも、
親からの傷ついた言葉。親と分かり合えない。
などをテーマにしてはいますが、
最近ひしひしと、
国語とか数学とか、
「勉強」は学校で学べるけど、
「子育て」を学ぶところって、ないよなあ。
と感じます。
ぶっつけ本番だよね。
子どもの頃、
大人は正しい。
何でも知っていて、間違うことはない。
と思っていて、
それが「親や先生を信じる理由」だったんですが、
社会で働き、いろいろな方々と会う中で、
大人もまだまだ悩んでる。
人間関係、お金、健康、今後の身の振り方・・・と悩むことだらけ。
何でも知っている人なんていない。と気づき、
勉強は学校で教わるけど、
子育てなんて、どこでも教わらないじゃない。
教わってないことを、
「全て正しく」なんてできないよな。
というのも今では理解できます。
きっとおじい&おばあちゃんから受けた教育を、
そのままするしかないだろうし…。
ですがわたしは、
教わらないなら自分で学ぶぜ!と、
教育系の本も手に取るようになりました。
今回の「テスト結果にどうコメントするか」だと、
島村華子著『自分でできる子に育つ ほめ方叱り方』の、
結果よりも、
プロセス(努力・姿勢・やり方)を大切にする
という考え方が、ひときわ心に響きました。
島村華子『モンテッソーリ教育・レッジョ・エミリア教育を知り尽くした オックスフォード児童発達学博士が語る 自分でできる子に育つ ほめ方 叱り方』
確かに、テストは点数だけを見てしまいがちですが、
もしわたしの母や祖父母が、
プロセスを重視して、
“きちんと授業の内容を理解できてるね。”
“宿題をこつこつ取り組んでいる成果が出たね。”
“暗記だけじゃなく、文章題も解ける力がついたね。”
などの言葉をかけてくれたなら、
すごく大切にされている感じがするし、
わたし(子ども)のことを考えてくれた感じがするし、
何よりすごく温かい言葉だ・・・と感じて泣けてきました。
じぶんで考えて、じぶんで泣いてら笑
「親の言葉へのモヤモヤ」の一番の解決法は、
モヤモヤの理由を知り、
次はわたしたち自身が、同じ言葉をつかわないこと。
だとわたしは考えています。
イライラや時間に追われていると、
〇〇って言ったでしょ!何でできないの!などと、
つい言ってしまいがちですが、
こちらの本は、
「前向きな言い換え」が数多く紹介されていて、
いつ・どんなときも、いい言葉だけをつかえるように、
何度も何度も読んで、身体に染みこませたい!と思える内容でした。
ご興味のある方は、一度手に取ってみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでくれてありがとう!
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