「親と話すと、いつも喧嘩になってしまう」
「自分は、親と分かり合えないのだろうか」とお悩みのあなた。
こんにちは、作曲家の逸@itsu_guitaristです。
いつも仲が悪いわけではないけれど、
ふと悲しい記憶がよみがえってきたり、
今の親子関係に不安を感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
わたしは「進路選択」で関係がギクシャクしはじめ、
今ではこうやって情報発信できるくらいには、
心の整理がつきましたが、
親と会話したり食事したりするなかで、
「え、そんなこと言う?」と無性に腹が立つことも、やはりまだあります笑
ぐぬぬぬ・・・。
「仲がいい家族もいれば、そうでない家族もある」
こう分かってはいても、
ときにムッとして、
つかみどころのない不安が押し寄せてきたりする・・・。
わたしたちは、
この不安定な感情をどうすればいいのでしょうか。
自分は何が気に入らないのか
腹が立つといっても、
なにも朝から晩まで喧嘩してるわけではなく!
あそこカフェできるらしいー
物価上がるから卵買えないねー
など無害な会話もしますし、笑
高校3年の「進路で大揉め事件」も、
自分なりに納得しています。
▼こちらでお伝えしています。
「お前の夢に出す金はない」と言われた当時は、
なんてヒドイ親だ!と思っていましたが、
あれから10年以上経ち、
いろいろな方々の家族の話もお聞きして、
むずかしい夢を持つ子どもに対して、
仕事や家事に追われながら、
それでも応援できる親御さんは、
いったいこの世にどれくらいいるだろう。
というのも理解でき、
・・・あまり言い方が良くないですが、
アタリ親ではなかったにしろ、
特別ヒドイ親とも言えないかもしれない。
とは思っています。
(人に対してアタリハズレ言ってすみません・・・。)
ではいったい、わたしは何に腹を立てているのか。
何が気に入らないのか。
なぜ親にイライラするのか。
仕方ないとか言って、
引きずってんじゃないの〜?(心の声)
これを考えて、考えて。
ついに、
わたしは、
「親を助ける」ことに非常に拒否感がある。
この結論に行き着きました。
「親を助ける」ことへの拒否感
もちろん急に倒れたり苦しみ出したら、
すぐさま病院へつれていきますが、
そういう緊急なことではなく、
悩みをきいたり、分かってあげたり、
「優しさを持って接すること」が、
非常に、非常にむずかしい。
と感じるんです。
いつもモヤモヤがぶり返す。
現在母は60代。
悩みというと、
「腰が痛い、足が痛い」「もう年だ。」
という母自身のもそうですが、
最近、母方の祖母の認知症が進行して、
毎週末帰って手伝いをしているため、
その疲れから、
介護のグチを聞かされたり、
ときには当たられたり(やれやれ…)するんですが、
わたしはそのとき、
「親を分かってあげよう」という感情がまったく出てこないんです。
スン……。
ヤバくないですか?
ヤバいって、なんか薄っぺらですけど、
わたしってこんなに感情乏しかったっけか!?!?!?
と自分で自分が怖くなります。
これが職場の先輩からの相談だったら、
片道45分かかるって大変ですね・・・。
毎週なんて、それは疲れますよ・・・。
など、いろいろ言葉を返せる自信があります。
パッと言えるよ。
ですが、あの高3の夏、
「お前の夢に出す金なんてない」と言った母親に対して、
わたしが一番助けてほしいときに助けてくれなかったのに、
なぜあなた(親)を助けてあげなきゃいけないのか。
と感じ、
悩みを聞いているだけで、イライラしてしまいます。
不公平じゃない?って思っちゃう。
まあ、グチや相談ならかわいいですが、
やはり一番の問題は、
この先20年くらい経ち、
最終的に母自身が老いて、助けが必要になったときどうすんだ!
ということですね!!
もう、探さないでくださいって、
盗んだバイクで走り出そうかしらん。と思ったりもします笑
さすがにそれは冗談だけど。。。
理屈はわかっていても、モヤモヤする。
これまで当ブログでは、
とお伝えしてきましたし、
書籍を読んで、
「親世代の考え方・時代の違いに目を向けよう」
というのも理解しています。
ですが実際、
そういうわたしだって、親と関わってイライラしている・・・
イライラしているじゃあないかァーッ(岸辺露伴風に)
これは何事だっ!ということで、
今の状況を整理したところ、
親の育った時代を考えると、
理解できることもあるし、なんなら同情できることもある。
けれど、親と自分のあいだに「悲しい思い出」があるのも事実。
だから、
理屈は分かっていても、
どこかで「親を認められない」のではないか。
こう思いいたりました。
すべて断ってもいいし、できる範囲で応えてもいい。
そんなとき、ある文章に目がくぎづけになりました。
親の価値観・欲求を知った上で、
自分自身がどうしたいかがベスト。
親の要求をすべて断ってもいいし、
できる範囲で応えてもいいでしょう。
これは『「親がしんどい」を解きほぐす』の著者、
臨床心理士・公認心理師の寝子さんの言葉なんですが、
すべて断ってもいいし、
できる範囲で応えてもいい。
こう言われたことで、
助けるといっても、
すべてを助けなくていいんじゃない?
「親への感謝」の分、助ければいいじゃないか。
と心がすごく軽くなったんです。
おそらく読者の皆さんも、
「親に感謝したいことが一つもない」という方は、
いないのではないでしょうか?
“一つもない”方は、
親子関係を“悩まない”と思うので。
わたしだって、いろいろボヤいてはいますが、
「感謝の気持ち」がないわけじゃありません。笑
生まれてこれて、本当に良かったと感じています。
音楽がある素晴らしい世界に生まれて、
ギターに出会えて。
・・・それ以前に、
赤ちゃんのころ、
マチ針をくわえてハイハイしてるのを、親が真っ青になって見つけた。とか、
市民プールの休憩中、
親に内緒ですべり台(ぞうさん)で遊び、ゴボゴボ溺れていた。など、
目を離したら何しでかすかわからん時代に、
「親に守ってもらった」という感覚はあります。
Webのお悩み相談で、
衣食住や病院など「子どもの養育はあたりまえ」
とおっしゃる方も見ますし、
むしろわたしは、それに賛成なタイプなんですが・・・
・・・ですが、
まったく予測不可能な子どもの「命を守って&育てる」というのは、
難関も難関。
もう、宇宙レベルで難しい!!!と思うので、
親への感謝も、大いにあります。
はじめてのギターも買ってもらったもんな。
「感謝の分だけ助ける」でもいいんじゃない?
もちろん、悲しい記憶があることも事実です。
言われた言葉も、過去の体験も、
なかったことにはなりません。
読者の皆さんも、
忘れられないこと。許せないこと。
きっとあるのではないでしょうか。
おかしいことじゃないよ。
おそらくわたしは、
親をすべて助けることはできないかもしれません。
お金を全部出すことはできないし、
毎回駆けつけることもできないし、
いいよやるよ、と率先して親を助けることはできないと思います。
全部ではないかも。
ただ、
すべて断ってもいいし、
できる範囲で応えてもいい。
この言葉のおかげで、
「感謝したいこと」もだんだん思い浮かぶようになりました。
わたしはブログ執筆してることもあって、
親からこんなこと言われたよな〜
こういう態度にモヤモヤしたよな〜と、
普段、それはもうデスノートばりに、
“負の記憶”を書きとめているのですが、笑
何年何月何日どこで誰に・・・って笑。
「感謝の分、助けよう」と思えたことで、
何でわたしが!と怒りを押し殺すのではなく、
これからはもっと肩の力を抜いて、
親と向き合うことができるんじゃないか。
と感じています。
▼今回の気づきをもらった寝子さんの著書
「なぜ親がこんな言葉を言うのか、こんな考え方をするのか」が分かり、
親の言動に振りまわされず、
一歩下がって、冷静に考えられるようになります。
頭の中をスッキリ整理できる本でした!
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